ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

今までの人生を振り返りつつ 私の生き方を綴るブログです。

1億の家から1間生活へと
私の幸せの基準



★関わりたくない気持ちと優しくしてあげたい気持ちがゆらゆら





blogmuraカテゴリー 60歳代 女性シニア 

たぶん誰でも
同じ様な感じだと思うけど

私ぐらいの年齢になると
死について考えることが増えてくる

寿命が伸びてるとは言え
平均寿命を考えれば、
60歳の私ならば残り30年を軽く切った。

参照*https://seniorguide.jp/article/1198998.html
75歳まで生きる確率は4分の3以上だそうで
90歳まで生きる確率は、
女性が50.5%、男性が26.5% らしい。

私の脳内
残りの私の人生は
おまけみたいなものかもと思えてるので


まあ、出来れば穏やかに
春の日だまりの中で、のほほんと
お花見をしてるような感じで生きていたい。

( *´ ︶ `* ) 

そのために
どうするかって問題なわけです。

私が実行中の
できるだけ作戦

✓ 老いを早めに自覚して健康に気を使い、
できるだけ健康的な生活を心がける

✓ 最も大事な心の健康を保つために
できるだけ平穏な生活環境を保つ。

✓ 最も大事な心の健康を保つために
できるだけ厄介事や厄介な人に関わらない。

✓ 自分の人生を振り返り
反省すべき点はできるだけなおしてみる

✓ 少しでも気になってる事は
できるだけ早めに対応(解決)してしまう。

✓ できるだけ早めに人生の整理(終活)をして
スッキリした気持ちで過ごす。

そんな感じでしょうか。



昨日記事にした件で、
部屋で亡くなってしまう
最悪な結果になろうとも


今日は
訪問介護計画書の作成などを行う
市から委託されたサービス提供責任者の人に
元主人の部屋に訪問していただきました。

緊急性を要するので
訪問看護師さんとヘルパーさんで相談して
サービス提供責任者の人に来て頂いて
本人からお話を聞くと言う流れに成ったようです。

本人の言い分は、
『訪問看護師さんやヘルパーさんが来ると
しんどいのに寝ていられなくて辛い』 から
もう来ないでほしいという話みたいです。

いやいや
そもそもその考えが間違っていて

病気で寝たきりの人とか
身体面で障害のある人とか
精神面で障害のある人とか
認知機能に障害がある人とか
脳症のある人とか その他

病人だから
看護師さんや介護士さんが訪問してるわけで
健康な人の所には訪問したりしないのだから、

しんどいなら寝ておきなさい
という話なんですが・・・

今日はとりあえず、
サービス提供責任者の人に来て頂き

ちゃんとした闘病生活をおくるために
訪問介護と訪問ヘルパーさんは
絶対不可欠であると言う説明をしてもらい
説得して頂きました。

京都駅の中の緑 空中経路の手前

上で書いた
私が実行中のできるだけ作戦の中で

元主人の介護をする覚悟を決めた事に関しては
大いなるジレンマがあります。

私がいずれ
病気持ちの元主人の介護を
する事になるだろうってのは
11年以上前に離婚した時から解っていました。

厄介事や厄介な人に関わらないと決めたのに
元主人の事は長い間ずっと気になってる事でした。

予想外な事に統合失調症が問題での介護ではなく
62歳の若さなのに、肝硬変の末期状態で
余命が短いと解っての介護と相成りました。

ジレンマとは揺れる心
厄介な人だから関わりたくない気持ちと
優しくしてあげたい気持ちが、ゆらゆら、と。


にほんブログ村 シニア日記ブログへ 

ご訪問ありがとうございます。

(❀╹◡╹)ノ゙応援、よろしくお願いします。

PVアクセスランキング にほんブログ村

シニア日記ブログ 女性シニア
50代の生き方  50歳代 
60代の生き方  60歳代



該当の記事は見つかりませんでした。

 

ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

あうん 阿吽
阿(あ)は口を開いて最初に出す音
吽(うん)は口を閉じて出す最後の音

そこから、宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされたり
対となる物を表す用語としても使用されたり
色々な使われ方をしてそうです。

すべての事柄には始まりが有り
終りが来るという意味合いの様です。

阿吽(あうん)の語源の元はインドのようで、
”宇宙”と壮大な表記をしている様だけど
私は、”あうん”を、ただの始まりと終わり
という意味合いで使うことにしてみました。

人の一生も阿吽