ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

今までの人生を振り返りつつ 私の生き方を綴るブログです。

1億の家から1間生活へと
私の幸せの基準



★死にゆく人を看取る側の気持ち





blogmuraカテゴリー 60歳代 女性シニア 

昨日お仕事に出かける前に
元主人の部屋に昼食を届けると
すでに若い食事介護のヘルパーさんが来ていて
楽しく歓談していた。

私は
あの人の朝・昼・晩の食事を作るために
自分時間や睡眠時間を
ちょっと削らなくては成らなくて

最近では暑くなってきたのもあって
気力的なものが奪われてる感じがあって
毎日の食事を用意するのが
かなりめんどうだなと思ってたりするさなか

お気に入りの
若くて可愛らしいヘルパーさんとのお話を
邪魔されたのが嫌だったのか

できたての温かい食事をテーブルに置くと
「こんなに食べられない」 と 
元主人に速攻で愚痴を言われ
その後もぶつぶつ言われたので

私はちょっと珍しく、
ヘルパーさんの前でブチギレてしまった。

「ありがとうぐらい言いなさいよ」 
ひとこと少し大きめの声で主人に当たったあと

ヘルパーさんに
「よろしくおねがいします」と、
これも少し大きめの声で言うと
そのまま何も話さずに部屋を出て職場に向かった。

いつもの食事の量を考えると
食べられそうにない量ではないのだ。

Nantonaku 8-18 患者くんの昼ごはん

この程度の量なのに
こんなに食べられない?食欲が落ちたのか

喜んでくれると思って頑張って作ったから
ムカついてキレたのに

その後の通勤時の道のりで考える事は
あの人の体調の事ばかり

https://www.google.com
死にゆく人を看取る側の気持ち

⇑ その検索サイトにあったサイト
【大切な人の最期を「看取る人」に必要な心掛け】
にも、書かれてる事だけど

死期が近くなると食欲がなくなっていく とか
死に向かう体はもう栄養を欲していない とか
色々なサイトに書かれてたりするものだから

食欲がないとか、
食べれないとか言われたりすると
⇑そんな事が脳裏を駆け巡る訳で、

怒っちゃ駄目だったかなと反省したりなんかして
私の心がさらにまた
ざわめいて止まらなくなるのです。

帰宅してから訪問してみると、
「昼食は完食」というヘルパーさんのメモ書きがあり

あら、食べれないと言ってたのに食べたのね
と元主人に聞くと
「そんな事を言った覚えがない」
と、本人の記憶はいつも曖昧なのだ



離婚した人の
介護をするとか考えられない とか

もうとっくの昔に家族ではないのだから
介護をする必要なんか無いんだしほっとけば良いと
ネットの知り合いや
職場の同僚に度々言われる事だけど

事情はさておき、
長く生きられないと言われた人を目の前にして
知らぬふりしてほっとけるほど
私は図太い神経を持ってないから仕方がない。


余命宣言を受けた時は、
もうそんなに長く生きられない
1年は無理かもと言う話だったけど

そう医師から言われた言葉が
私の脳内を絶えず駆け巡る。

死にゆく人を看取る側の気持ち

どう扱っていいかわからない

経験してみないと絶対に誰にも解らない
私の心の中の葛藤が凄まじいのです。


にほんブログ村 シニア日記ブログへ 

ご訪問ありがとうございます。

(❀╹◡╹)ノ゙応援、よろしくお願いします。

PVアクセスランキング にほんブログ村

シニア日記ブログ 女性シニア
50代の生き方  50歳代 
60代の生き方  60歳代



該当の記事は見つかりませんでした。

 

ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

あうん 阿吽
阿(あ)は口を開いて最初に出す音
吽(うん)は口を閉じて出す最後の音

そこから、宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされたり
対となる物を表す用語としても使用されたり
色々な使われ方をしてそうです。

すべての事柄には始まりが有り
終りが来るという意味合いの様です。

阿吽(あうん)の語源の元はインドのようで、
”宇宙”と壮大な表記をしている様だけど
私は、”あうん”を、ただの始まりと終わり
という意味合いで使うことにしてみました。

人の一生も阿吽