ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

今までの人生を振り返りつつ 私の生き方を綴るブログです。

1億の家から1間生活へと
私の幸せの基準



★無償で介護する私と 賃金を得て介護してる人との差





blogmuraカテゴリー 60歳代 女性シニア

昨日はパートが休みの日でしたが
私は病院の日でしたので
元主人の介護をしてる私は
家を開けてる時にも気になるので

訪問看護師さんとかヘルパーさんが
訪問してくださるのはとても助かります。

無償で介護する私と 
賃金を得て介護してる人との差

私は週5日のパートの日も家仕事があり
パートがお休みの日も
当然、家でお仕事をしてます。

とっくの昔に元主人とは離婚しておりますので
家族でもなく身内でもございませんので
元主人の扶養義務も介護義務もありませんので

元主人の介護は
いわゆるボランティアみたいなもので
無償で介護を引き受けているので
私の大切な時間を削ってのご奉仕
ということになります。

新緑の葉の透明感が凄い 晴天が続くと数日で濃くなってしまう。1

介護における私の仕事は
お洗濯にお掃除に食材の買い出しなどに
朝昼晩の食事を作って持っていき
シャワーをしてあげたり汚物のお片付けとか
お薬の管理もして
おやつや夜食などの調整などもして、
便などの体調管理をしており、

自分の部屋から監視カメラで
患者の元主人の様子を伺い
それらの全てをノートに記録して
私の休みの日に合わせた通院に付き添います。

毎日、3度の食事を持っていくと、
一緒に食べようとか、ゆっくりして行けよとか
少し話そうとか、色々な事を言われるのだけど

以前の私とは違って
介護を始めた私は超多忙になりましたので

睡眠時間を削って、
家のお仕事時間を少し削って

それでも
自分のご飯時間すら上手く取れないし
食事が不規則になり
シャワーをする時間すら厳しい時があり
とにかく時間がございませんので、
ご飯を持っていったり
お洗濯物を持っていったりで訪問するたびに、
ゆっくりしていけとか言われても無理なので
少しだけお話したら
早々に部屋を後にしないとなりませんが・・・

=========================
✔ 昼のヘルパーさんは1時間
✔ おやつタイム頃の訪問看護師さんは1時間
✔ 夕刻のヘルパーさんは1時間半
=========================
この方達は、
お仕事でお越しになってるので
患者の元主人のお話を聞くだけでも
それなりの報奨が得られる訳です。

接し方の差も歴然で

統合失調症になって長く
肝硬変からの肝性脳症がまだ少し有る
元主人のあり得ない妄想話でも何でも、
お仕事なのでちゃんとお聞きになられます。

しかも、
元主人は
訪問看護師さんとかヘルパーさんには
すごく丁寧に接する、

昔から、
外面(そとづら)だけは良い元主人の性格は
多少ぼけていても変わらないので
身内系以外の相手に
不快感を与える事は絶対にありません。



でも私の場合は
元主人の中では、
身内みたいな扱いのままなので

私に対しては言いたい放題言いますし、
食事を持っていっても、
ありがとうすら言わないので

私はちょっとムッとして
「あなたのために手間ひまかけて
食事をお持ちしてるので
ありがとうと、いただきますは言うべきですよね」
と、小言みたいなことも言いますから

元主人にしたら、
うっとおしい存在に
思えたりすることも有るようですし・・・

私には、とにかく時間がないので
元主人の妄想話に
いつまでも付き合っていられない。

あの人の発言や態度を見てると
無償で介護する私と
賃金を得て介護してる人との差が激しすぎて

お気の毒だなとか
可愛そうね・・・という気持ちとか
息子の代わりに私が頑張らなきゃと言う気持ちが
たまにゆらぎ、 

いずれ
元主人の介護を決めたことを
後悔する事に成ってしまうのではないか
と・・・思えてしまうことがあります。


にほんブログ村 シニア日記ブログへ 

ご訪問ありがとうございます。

(❀╹◡╹)ノ゙応援ポチよろしくお願いします。

PVアクセスランキング にほんブログ村

シニア日記ブログ 女性シニア
50代の生き方  50歳代 
60代の生き方  60歳代

該当の記事は見つかりませんでした。

 

ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

あうん 阿吽
阿(あ)は口を開いて最初に出す音
吽(うん)は口を閉じて出す最後の音

そこから、宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされたり
対となる物を表す用語としても使用されたり
色々な使われ方をしてそうです。

すべての事柄には始まりが有り
終りが来るという意味合いの様です。

阿吽(あうん)の語源の元はインドのようで、
”宇宙”と壮大な表記をしている様だけど
私は、”あうん”を、ただの始まりと終わり
という意味合いで使うことにしてみました。

人の一生も阿吽