ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

今までの人生を振り返りつつ 私の生き方を綴るブログです。

1億の家から1間生活へと
私の幸せの基準





Index LINK
全ての記事の表示
60代を 自由に生きる2

burogumura テーマ
* 60代を 素敵に生きる *

* 50代を 素敵に生きる *

ブログランキングアイコン

PVアクセスランキング にほんブログ村

もう死んでくれたら楽なのにとか殺意が沸くような出来事も何度も何度も有ります。





blogmuraカテゴリー 60歳代 女性シニア

仕事前のブログです、
今日の昼はもちろん昨日の夜ご飯と同じで、
全く同じそのままのヘルシーご飯約80円。

(同じなので画像は使いまわす(笑)
鴨の燻製

一人暮らしの場合、食材の関係で、
2~3回は、同じ風の食事になるのは、
我慢しないと駄目かもしれません、

私は平気ですけどね・・・ふふ

不足なカルシウムとかその他は、
サプリメント等で補うのは仕方が無さそう!




今朝は、
少し懐かしい夢を見ました

たまに楽しかった頃の夢は見ますね。
今現在、過去はあまり、
引きずっては居ないのですけどね・・・

楽しくない昔の夢も沢山見ますが、
毎回、
亡くなった旦那様の母親の
介護の夢ですね。

とてもじゃないけど、
楽しいとは思えない訳ですが良く見ます。

そのあたりの心理は良く解りませんが。
私に悔いが
あるのかも知れません。




誰にも親がいるはずなので、
いずれは、介護という壁に、
ぶち当たるとは思うけど、



痴呆者の介護は
甘い物では有りません。



もう死んでくれたら楽なのに
とか・・・思ってしまったり、
殺意が沸くような出来事も
何度も何度も有ります。




そんな心理まで追い込まれると、
平常心を保てない自分がたまに居るのです。


言う事を聞かなさ過ぎて、
オムツを脱いでしまったり、
トイレに流してしまう事など度々で、
トイレが大洪水であふれ出るなど日常。

「もう すきにしてよ」 

と放置してしまう事も、何度も何度も有ります。


そうなっても・・・
代わりが居るわけでは無いので、
結局は私がすべてしなくてはいけない。




この旦那様の母親は、
実の娘二人に見捨てられましたが、

実は同居の旦那様=実の息子にも、

同居していながら尚、
見捨てられていました。



仕方が無く引き取った・・・
だけのようで、
親子なのに話すらしませんでしたね。


過去の理由は良くわかりません。






そんな人間性を秘めた旦那の母親を、
血縁でも無い、介護責任が無い私が、

旦那の母親だと言う事だけで、
たった一人で・・・
何年も何年も面倒を見て、
最後まで看取ったわけですが。



逝った知らせを、旦那に伝えた時の第一声は、

「恨みを晴らす前に
死んでしまった」 

でした。




最後は脳梗塞頻発で寝たきりに成り、
食事が取れなくなり「いろう」でした。
胃に穴を開け、
管で胃に流動食を流す方式でしたので、
そいう専門のところに入所しましたが、
脳梗塞から、
入院生活およそ2年半の間、


旦那は実の母親の病室を、
一度も訪れていません。





でも?


私は頑張ったんですよね・・・
私には、そういう人の面倒を、
ちゃんと最後まで・・・

頑張ってやった
という想いがあるのに。






心の奥で

介護中に何度も何度も・・・

もうイヤーーと思い叫び、

死んで欲しいと望んだりもしたし、

意地悪な気持ちになったのは事実なので、

そう思った事を悔いてか?

たまに今も夢を見るのでしょうか?

でも私は本当に頑張った


いまだに夢にまで出てくるのは、
もう勘弁して欲しい・・・

該当の記事は見つかりませんでした。

 

ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

あうん 阿吽
阿(あ)は口を開いて最初に出す音
吽(うん)は口を閉じて出す最後の音

そこから、宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされたり
対となる物を表す用語としても使用されたり
色々な使われ方をしてそうです。

すべての事柄には始まりが有り
終りが来るという意味合いの様です。

阿吽(あうん)の語源の元はインドのようで、
”宇宙”と壮大な表記をしている様だけど
私は、”あうん”を、ただの始まりと終わり
という意味合いで使うことにしてみました。

人の一生も阿吽