ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

今までの人生を振り返りつつ 私の生き方を綴るブログです。

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★「夫に死んで欲しい」と 願ってる妻は沢山居る





blogmuraカテゴリー 60歳代 女性シニア

昨日 
少し書いた事について

殺意が湧いた なんて誰にも言えない
September02,2017


眩しい 緑


まあ、
私が38歳前頃から~48歳過ぎ頃までの
10年以上の認知症の介護って
経験した事のない人には
わからないかもしれないけど

経験してみたとしたのならば、
誰でもが、必ず、
そんな思いには
成るはずだと断言すらできます。

認知症の姑に酷いことをされると
瞬間的に殺意とかが脳裏を駆け巡る
でも理性の名のもとに、
気持は瞬時に抑えられる。

毎日が大変すぎて、
こっちが死ぬほど辛すぎて
死んだら楽に成れるだろうなと
私は自分の死すらも
考えた事が度々あった訳ですから


姑に対して
お願いですから早く死んでくださいと
心で祈ってみたりとかが有っても
おかしな事だとは思えないんですよ。

でも、いざ、病気を患って
84歳で亡くなってみると
私だけが大粒の涙をこぼしているのみで
さらにそれがお気の毒に思えてしまう
実に複雑な感情を生み出したり

この殺意ってのは姑に対してのみで
旦那様に対しては、
殺意は持っていませんでしたが
旦那様に対しては、
別の思いは持ったことが有ります。

以前も書いたことはありますけど
私は旦那様を愛して居たからこそ、
統合失調症で苦しむあの人を
助けたいと思って
ずっと介護してきたのに

あの人の病気は悪化し続け
毎日の様に私が悪いと責めたし、
挙句、病気になったのは、
私が食事に毒を盛り続けているからと
後半あたりには、食事は食べなくなり
自分で何かを買ってきて食べてました。

認知症の介護も、
統合失調症の介護も

どっちも、同じぐらい過酷なのに

同時に、二人の介護に加え
私だけが生活を支える働き手なわけで 

それが、
どんなに凄いことなのか

想像できますか


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私は
旦那様に殺意は沸かなかったけど
死んでくれたら楽になるのにと
思ったことは、度々あります。

https://www.google.co.jp
「夫に死んで欲しい」
と願ってる妻


世の中には、
夫に死んでほしい妻が
沢山居るそうです。

でも私は旦那様の精神が健康なら
絶対にそうは思わなかったはず。

事故で手足が、もがれても、
病気で、寝たきりに成っても
私は絶対に見捨てはしない。

私達の離婚は、
旦那様が切望した結果です

統合失調症の病気のために
被害妄想に取り憑かれたあの人は、
私を責めまくる毎日でしたから
本人も激しく苦しんでいた訳で

旦那様は、
私から逃げたかった結果として離婚。

悩みに悩んで、
私がそれを受け入れた時
旦那様は凄く嬉しそうな顔で笑った

その当時は、
少し恨むような感じの
気持ちに成ったりもしましたが、

時間が少し経つと

全ては病気のせいなので
仕方がない事なのだと
思える様になりました。

そして今の私は
元旦那様の事を、
お気の毒だなと思ったりで

私に出来る事はしてあげたいけど

病気はさらに進化しているようで
連絡は途絶えております。




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ひとり 人生最終期に思ふ ”あうん”

あうん 阿吽
阿(あ)は口を開いて最初に出す音
吽(うん)は口を閉じて出す最後の音

そこから、宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされたり
対となる物を表す用語としても使用されたり
色々な使われ方をしてそうです。

すべての事柄には始まりが有り
終りが来るという意味合いの様です。

阿吽(あうん)の語源の元はインドのようで、
”宇宙”と壮大な表記をしている様だけど
私は、”あうん”を、ただの始まりと終わり
という意味合いで使うことにしてみました。

人の一生も阿吽